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東京地方裁判所 平成7年(ワ)23134号 判決

原告

株式会社スワット

右代表者代表取締役

黒川利夫

右訴訟代理人弁護士

馬場孝之

被告

日新火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

縄船友市

右訴訟代理人弁護士

小河原泉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、二九万八七〇〇円及びこれに対する平成七年一二月六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、警備業者である原告が、駐車場の警備中、保管していた車両を所有者の指示を受けて引取りに来たように装った何者かに持ち去られて所有者に返還できなくなったため当該所有者に支払わざるを得なくなった代車代二九万八七〇〇円について、これが賠償責任保険警備業者特別約款に規定された「盗取」の発生によって他人に与えた損害に当たることを理由に、右同額を原告が被った損害であるとして、賠償責任保険契約の相手方である被告に対しその支払を請求する事案である。

二  争いのない事実等(1、2の事実は当事者間に争いがない事実、3の事実は被告において明らかに争わない事実)

1  当事者

原告は、店舗、駐車場等の警備の請負等を業とする株式会社であり、被告は火災、自動車、賠償責任、盗難等の保険事業等を業とする会社である。

2  保険契約の締結とその内容

(一) 原告は、被告との間で、平成六年九月五日、賠償責任保険普通保険約款及び警備業者特別約款(以下「本件特別約款」という。)によることとして、次のように賠償責任保険契約を締結し、保険料を支払った。

保険期間 平成六年九月一〇日から平成七年九月一〇日まで

対象業務 施設警備

財物賠償てん補限度額 一事故につき一〇億円

保険料 一九万一九一〇円

(二) 原告は、被告との間で、平成七年二月二八日、賠償責任保険普通保険約款及び本件特別約款によることとして、次のように賠償責任保険契約を締結し、保険料を支払った。

保険期間 平成七年三月一日から平成八年三月一日まで

対象業務 施設警備及び立体駐車場施設警備

財物賠償てん補限度 一事故につき二〇〇〇万円

保険料 一二万一五五〇円

(三) 前記各賠償責任保険契約(以下、まとめて「本件保険契約」という。)の内容をなす本件特別約款には、次のように定められている。

保険者は、被保険者が日本国内において警備業法に基づく保険証券に記載された警備業務を遂行することにより他人の財物の滅失、き損、汚損、紛失若しくは盗取が発生した場合において、被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害をてん補する(本件特別約款第一条)。

3  本件事故の発生

(一) 原告は、東和商事株式会社との間で、同社が所有する千葉市中央区富士見二丁目一番一号所在の駐車場「東和パーキング」に駐車場の営業のために従業員を派遣し、その管理、警備を行なう旨の契約を締結した。

(二) 原告は、平成七年六月二九日午後一〇時五三分、株式会社大成工業(以下「大成工業」という。)の代表者である佐藤敏彦から、大成工業所有の乗用車(セルシオ、以下「本件車両」という。)の駐車及び保管を依頼され、これを承諾して本件車両のキーを預かり、本件車両を保管していた。

(三) 保管開始後約三〇分を経過したところ、原告従業員は、「うちの若いのをやるのでセルシオを代りに受け取らせてくれ」との電話を受け、右電話を前記佐藤からのものと信じた右従業員は、その直後に現われた若い男を佐藤の代理人と信じ、本件車両のキーを交付して、本件車両を搬出させ、若い男はそのまま走り去ってしまった。

ところが、佐藤はそのような電話をかけていなかった。

三  争点

本件事故が本件特別約款に定められた「盗取」に該当するか否か。

四  争点に対する双方の主張

1  原告

本件事故は、本件車両の処分権限を有しない原告を騙してこれを持ち去ったものであるから、処分行為は存在せず、詐欺ではなく窃取されたものに他ならないので、本件特別約款にいう「盗取」に該当する。

仮に、保険事故が刑法上は詐欺に該当するとしても、本件特別約款の「盗取」とは、社会一般人の合理的な解釈からすると、他人をごまかして奪い取る行為をも含むと解されるから、刑法上の詐欺をも含む概念というべきであり、本件事故も「盗取」に該当する。

2  被告

本件特別約款の「盗取」とは、約款上特別の規定がないから、刑法上の考え方に従ってこれを解釈すべきである。そして、刑法上盗取とは被害者の意思に反して財物の占有を奪取することであり、窃取、強取を指し、詐取とは区別されている。

また、約款の解釈は社会一般人の合理的な解釈に従って行われるべきであり、右合理的解釈に従えば、盗取には詐取は含まれない。

実際、賠償責任保険の特別約款では、盗取と詐取は峻別されており、本件特別約款をはじめ保管者賠償責任保険等は盗取による賠償責任のみを保険事故としているのに対し、自動車管理者賠償責任保険特別約款は、盗取と詐取による賠償責任が保険事故とされている。また、自動車保険の車両担保条項についても盗難と詐欺は区別されている。

そして、本件事故は、典型的な詐欺事例であり、「盗取」には該当しない。

第三  当裁判所の判断

一1  損害保険契約は「偶然ナル一定ノ事故」(以下「保険事故」という。)によって生じた損害をてん補することを約する契約である(商法六二九条)。賠償責任保険における保険事故は、原因となる事実が発生し、かつ、被保険者が損害賠償責任を負う場合にその発生を肯定することができる。したがって、保険事故の原因となる事実は、損害保険契約に基づいて保険会社が損害をてん補すべき場合の枠組を決定するものであり、損害保険契約の核心となる要素であって、保険契約者に社会生活を送りあるいは企業活動を行う上で遭遇することのある危険に対応することを可能ならしめ、保険者にその発生の蓋然性に基づいて保険料率を算定させる根拠となるものであるから、損害保険契約の内容を画一的に定める約款において明確に定められていることを要するものである。したがって、約款における保険事故を定める条項に関する限り、当該条項を解釈するに当たっては、当該条項の文言自体が不明確で当事者の合理的意思を探究しなければその意味を確定できない場合は別として、当該条項の文言(解釈規定があればその文言を含む。)を素直に解釈し、その意味するところに従って保険事故の原因となる事実が何かを確定すべきであり、合目的的見地を理由に一方当事者の立場から安易に当該条項を拡張解釈したり、縮小解釈したりすべきではないと解するのが相当である。また、個々具体的な保険契約者の立場から損害保険契約締結に関する個別具体的な事情を考慮して当該条項を解釈すべきではなく、一般的な保険契約者が理解するであろう意味において客観的、画一的に当該条項を解釈すべきである。

2 本件特別約款一条は、物的損害により被告のてん補責任を発生させるべき保険事故の原因となる事実として「被保険者が日本国内において警備業法にもとづく保険証券に記載された警備業務を遂行することにより他人の財物の滅失・き損・汚損・紛失もしくは盗取が発生した場合」と規定している。社会通念上、「盗取」とは、他人の管理(事実的支配)に属する物をその意思に反して取り去って自己又は第三者の支配に置くことと理解されているのであり、瑕疵ある意思に基づいて占有を移転する詐取の意味は含まれないと解するのが相当であるから、本件特別約款一条にいう「盗取」についても右のとおりに解するのが相当である。

3  たしかに、社会一般における盗取の意味は刑法学におけるその意味と厳密に一致するものではないが、盗取という概念を明確に定義する刑法学の影響を受けていることは否定できず、社会一般における盗取の意味も刑法学における定義と基本的に一致するものと解して差し支えないものといえる。刑法学上、盗取罪とは、被害者の意思に反して財物を奪取するもので、窃盗罪及び強盗罪がこれに当たると解されており(刑法二三五条、二三六条、二三九条参照)、被害者の瑕疵ある意思表示に基づいて任意に占有が移転される詐欺罪及び恐喝罪と峻別されているのであって、このことからしても、「盗取」とは窃取及び強取を意味する概念と解するのが相当である。

4  本件特別約款一条にいう「窃取」について右のとおり解しても、本件特別約款のその他の条項及び適用されるべき賠償責任保険約款の条項との間に何ら齟齬を来さない。すなわち、本件特別約款一条は、「特別約款記載の事故‥‥(中略)‥‥により、‥‥(中略)‥‥他人‥‥(中略)‥‥の財物を滅失、き損もしくは汚損したこと」を保険事故の原因として規定する賠償責任保険普通保険約款一条の特則であり、被保険者が所定の警備業務を遂行することにより自らの行為によって他人の財物を滅失、き損又は汚損した場合に加え、他人の行為によって「盗取が発生した場合」をも保険事故の原因となる事実として規定したものであるというべきであるが、保険事故の原因となる事実に該当すべき他人の行為として何を取り上げるかは当該特則の規定の仕方によって決定される問題であって、「盗取」の本来意味するところによって解釈すれば足りるから、右に述べたことが前記の解釈に抵触するものではない。その他本件特別約款のその他の条項及び賠償責任保険普通保険約款の条項を見ても前記の解釈と別異に解する根拠を見出すことができない。

5  さらに、賠償責任保険の他の特別約款を見ると、本件特別約款のように保険事故の原因となる事実として「盗取」のみを掲げるもの(保管者特別約款、PTA特別約款等)と「窃取・詐取」を並列して掲げるもの(自動車管理者特別約款)が存在し、さらに保管者特別約款は、貴重品等担保条項を付ければ、盗取のみならず詐取についても損害がてん補させることになると規定している(以上、甲第三号証、乙第一号証)。

このように特別約款において、盗取と詐取は、保険会社のてん補責任の範囲を画するについて明確に書き分けられており、約款の種類によって、盗取の発生により被害者に対して負担した損害のみがてん補されるのか、詐取の発生により被害者に対して負担した損害もてん補されるのかが、損害保険契約の当事者に明らかであるから、安易な概念の拡大解釈は許されないというべきであり、「盗取」のみを責任の範囲に掲げた約款においては、「詐取」は保険事故の原因となる事実に含まれず、保険の対象から除外されているものと解するのが相当である。

なお、この点を本件に即して付言すると、警備業者特別約款は、被保険者が警備業法に基づく警備業務の遂行に当たって負担した損害賠償責任による損害を対象とするものであるところ、警備業法に規定された警備業務とは、盗難、負傷等の事故の発生のないように警戒、防止を行うことが職務の中心であるから(同法二条一項)、もともと本件の貸駐車場の管理業務のように、反復継続的に他人の財物を預かり、これを正当な権利者に返還するという業務は、本来の警備業務には含まれておらず、したがって、右のような管理業務から生じるリスクについては警備業者特別約款では網羅的に規定されていないというべきである。これに対して、自動車管理者特別約款は、駐車場業者、自動車修理業者等他人の自動車を保管、管理する者が権利者に対して負担する賠償責任を対象とする約款であり、右約款においては、自動車の保管、管理から一定の頻度で生じることがリスクとして査定可能な事故が保険事故の原因として掲げられているものと解される。警備業者特別約款中に「盗取」が掲げられているのに対し、自動車管理者特別約款に「盗取・詐取」が並列されているのは、右のような業務の内容から予想されるリスクの違いに由来するものと解される。

6  原告は、本件特別約款に定める「盗取」とは、刑法上の窃取のみならず詐取をも含む概念であると主張するが、採用することができない。

二  前記争いのない事実からすれば、本件事故は、原告が大成工業の代表者から本件車両をキーとともに預託され、本件車両を所持していたところ、車両の返却を担当していた原告の従業員が、「うちの若い者をやるのでセルシオを代わりに受け取らせてくれ」との電話をかけた者及び直後に現われた若い者に欺罔され、同人に車両の受領権限があると誤信して、同人に本件車両のキーを渡したというのであるから、原告従業員は、本件車両の権利者を誤信した瑕疵ある意思に基づいて本件車両を交付したことになり、刑法上、原告は本件車両を詐取されたというべきである。そして、社会通念上詐取が盗取に含まれず、本件特別約款一条に規定する「盗取」についても同様に解するのが相当であることは前記のとおりであるから、本件事故はこれに該当しないというべきである。

三  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙世三郎 裁判官小野憲一 裁判官山口倫代)

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